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小柳常吉 (明治) : ミニ英和和英辞書
小柳常吉 (明治)[こやなぎ つねきち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やなぎ]
 【名詞】 1. willow 2. slim 
: [とわ, じょう]
  1. (adj-na,n) eternity 2. perpetuity 3. immortality
明治 : [めいじ]
 【名詞】 1. Meiji era 

小柳常吉 (明治) : ウィキペディア日本語版
小柳常吉 (明治)[こやなぎ つねきち]

小柳 常吉(こやなぎ つねきち、1839年天保9年/10年〉 - 1881年明治14年〉8月20日)は、阿武松部屋武隈部屋鬼面山部屋に所属した元力士〔http://sumodb.sumogames.de/Rikishi.aspx?r=3426&l=j〕。
本名は御簾生(御簾納とする資料もある) 春吉。上総国埴生郡(現在の千葉県市原市)出身。身長170cm・体重115kg。
最高位は西関脇
1858年1月場所で初土俵(二段目〈現在の幕下〉)を踏んだ。1861年10月場所5日目に千草山と改名し、徳島藩のお抱え力士となった。1866年3月場所で東十両9枚目(十枚目格)に昇進。その場所で、いきなり7勝1敗の優勝次点の好成績を挙げた(優勝相当成績は同じ徳島藩お抱えの千羽ヶ嶽兵右エ門〈8勝1分け〉)〔。十両時代は快進撃を続け、十両昇進から4場所後の1868年6月場所で新入幕を果たした。その直前の1867年11月場所は、千羽ヶ嶽が7日目の國見山半五郎戦〔慶応3年冬場所(大相撲星取表のHP) 〕で引き起こした勝負結果を巡るトラブルにより、お抱え元の徳島藩第13代藩主・蜂須賀斉裕によって、千羽ヶ嶽や鬼面山谷五郎(後の第13代横綱)と共にこの場所を強制にボイコットさせられる羽目に追いやられた〔慶應3年11月7日目千羽ヶ嶽(打っ棄り)國見山(相撲評論家の頁・幕末期の角界) 〕。この場所では東十両筆頭で1勝2敗7休という成績に終わっていたが、事情が勘案されめでたく入幕を果たすことができた〔。幕内でも実力を遺憾なく発揮し、たびたび優勝争いに加わっていた。1871年4月場所で西小結に昇進。同年には小柳の好成績に惚れ込んだ山内容堂によって、お抱え元を土佐山内家に変更されようとしたが、断ったという逸話もある(後に相生松五郎が承諾し、綾瀬川山左エ門四股名を容堂から貰って、大関まで昇進した)。1873年4月場所で西関脇に昇進したが、その場所後に高砂浦五郎高砂改正組に同調して東京相撲を離脱したため、次の12月場所では番付から小柳の名前がで消されるというペナルティーを受けたこともあった(幕内の番付に空位ができたのは、それから2007年11月場所で時津風部屋力士暴行死事件の影響を受けて急遽現役を引退して、16代時津風を襲名した時津海正博(当時西前頭11枚目)まで134年間出なかった〔<大相撲>番付表西前頭11枚目に空位…134年ぶりの珍事 毎日新聞、2007年10月29日記事。〕)。高砂改正組は1878年まで存続したが、小柳自身は間もなく袂を分かち、翌1874年12月場所で西小結張出で東京相撲に復帰した。しかし、復帰後は以前と打って変わって低迷
し、翌1875年4月場所で勝ち越した以外は負け越しが続いた。1877年6月場所限りで現役引退した。
引退後は4代阿武松を襲名し、阿武松部屋の経営に当たった。また両国橋寄席「小柳」を兼ねて経営した。しかし引退から4年後の1881年8月20日、部屋から関取を出すことなく死去した。43歳の若さだった。
幕内通算 17場所 64勝51敗13分2預40休の成績を残した〔。
改名歴は4回ある:千草山→小柳 春吉→小柳 常吉→小栁〔但し上部に木、下部にタと卩を書いた。〕 常吉→小柳 常吉。
たびたび優勝争いに絡むなど素質はあったが、前半生はお抱え藩の藩主の乱心によって引き起こされたボイコット事件、後半生には同僚の幕内力士が引き起こした集団離脱事件に巻き込まれるなど、土俵外の動きに翻弄された波瀾万丈の人生だった。色白の美男子で、錦絵(主に2代歌川国輝によって描かれた)が飛ぶように売れたと伝わっており、現存している物も複数ある〔歌川国輝:「徳嶌小柳常吉」 - 演劇博物館デジタル 〕〔船橋市民ギャラリーで「房総の浮世絵」展-風景画・相撲画から房総を見る MyFunaねっと(まいふなねっと)、2012年3月9日記事〕。
== 出典 ==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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